Nov 07, 2010
卒業旅行の協議は、インターネットを活用すると便利です
卒業旅行に仲間のいけば、インターネットの旅行サイトを使用して協議が便利ですよ。卒業旅行に最適なプランもたくさん見つけることができ、インターネットの旅行サイトであれば、便利な時に簡単に確認することができます。仲間ていく際にも、旅行サイトを使用すると、いちいちどこかに集まらないことなく、メールなどを使って、簡単に協議を進めることができます。予約も簡単ですしね。国内旅行をすることの利点は、やはり簡単に感覚だと思う。車で行けば重い荷物を持って歩く必要もなく、自分のペースで走ることができます。海外旅行に比べて、言葉の壁も文化の差もほとんどない。飛行機から離れていくと、ほとんど海外旅行に行ったような気候と景色の違いを楽しむことができます。国内旅行は、思い立ったらいつでもどこでも簡単に行くことができます。
◇ミスマッチも
東日本大震災の発生から11日で4カ月がたった。避難生活の長期化を見据え、就職や職探しをする避難者が増えている。新潟労働局によると、6月24日までに、避難者929人から求職希望があったが、実際に就職した人数は238人にとどまる。県内の雇用情勢が低迷する中、避難者も厳しい就職状況を強いられている。【塚本恒】
東京電力福島第1原発から半径20キロ圏内の「警戒区域」に当たる福島県浪江町から新潟市西区の西総合スポーツセンターに避難してきた鈴木忠義さん(55)は4月上旬、避難所近くの保育園で給食を作る仕事を得た。震災前は病院の食堂で調理師として働いており、特技や経験を生かせる仕事を探していた。
しかし5月中旬、同市中央区の宿泊施設に引っ越すため通勤が困難になり、やむなく退職した。新しい住まいの周辺では調理に関係する仕事は見つけられなかった。現在は同市の臨時職員として働く。鈴木さんは「調理師の仕事は探しているが、厳しいだろう。福島に帰ったら調理の仕事に戻りたい」と話す。だが原発事故の影響で、いつ福島に戻れるのか見通しはたたない。
新潟労働局職業安定課によると、避難者の多くは原発事故の収束とともに帰県を希望しており、短期間の仕事の仕事を望む傾向があるという。また前職の経験を生かすにも年齢などが不利になるケースが目立つ。
6月24日現在、被災者向けの求人数は700人弱で求職者数とほぼ同じだが、同課は「避難者は一人一人さまざまな事情を抱えており、雇用のミスマッチがある。さらに求人数を増やしたい」としている。各地で避難所の閉鎖も進む中、個別の就職支援を強化するため、ハローワークでは被災者専用の相談窓口を設けている。
福島での勤務先が休業中のため、就職活動をためらう人も多い。
新潟市中央区の市体育館に避難している堀彰さん(51)は現在、日雇いのアルバイトで収入を得ている。福島市で勤めていた電気工事会社は再開の見通しが立たず、ハローワークに行っても年齢などが壁になって仕事が見つからない。堀さんは「9月ごろをめどに福島に一度戻り、向こうの状況を見て判断したい」と考えている。
雇用状況は県全体で厳しい状況にある。今年5月の県内の有効求人倍率は0・64倍にとどまる。ある避難者は「新潟の若い人でも仕事が無いのに、よそから来た私たちに働き口があるのか」と不安を口にした。
7月12日朝刊
【関連記事】
福島第1原発:ホテルの使用期限迫る 双葉町民の避難先
東日本大震災:避難者10万人切る
福島第1原発:避難先行政サービス維持 3次補正で措置を
文科省検討会:学校に備蓄倉庫を…避難所機能求める提言
福島第1原発:避難男性が会津若松をPR…「恩返しに」
新潟市の篠田昭市長は11日、東京電力柏崎刈羽原発のある柏崎市や刈羽村、県が東電と結んでいる原子力安全協定について「市としてはいずれかの段階で協定もしくはそれを類するものを結び、東電から当事者として認識してもらいたい」と話し、締結を目指す方針を明らかにした。
福島第1原発事故を受けたもので、立地自治体以外で協定締結の意向を示したのは、県内では上越市に続き2自治体目。協定を結んだ自治体は、東電に原発への立ち入り調査を求めたり、原発が安全ではないと判断した場合、運転停止を求めることができる。【小林多美子、畠山哲郎】
7月12日朝刊
【関連記事】
福島原発:Jヴィレッジに内部被ばく量測定機器を設置
原発:6月の稼働率36.8% 79年以来の低水準に
復興100キロマラソン:原発従事の49歳男性が挑戦
原発安全協定:37自治体が要請 10キロ圏外にも危機感
原発:「安心は無視か」 経産相「再稼働を」に怒りあらわ
◇「踏ん切るきっかけに」
中越沖地震から16日で4年になるのを前に柏崎市内の仮設住宅跡地を巡る100キロマラソンが9日、開かれた。東京電力福島第1原発事故後、福島県浪江町から埼玉県蓮田市に身を寄せているメーカーのグループ社員、牛田慎一さん(53)も参加。「いつまでもぐずぐずしていても仕方ない。踏ん切るきっかけがほしかった」と話す。【宮地佳那子】
牛田さんは全国各地のマラソン大会に参加してきた。100キロマラソンには柏崎市日吉町に住む会社の後輩、上原敏明さん(49)に誘われ、昨年出場した。
牛田さんは東日本大震災まで福島第1、2原発で働いていた。昼休みに所内を走り、自宅まで約15キロを走って帰るなどランニングは生活の一部だった。今年も同マラソンへの挑戦を楽しみにしていた。
大震災翌日の3月12日、1号機が爆発。同原発から約10キロに自宅があった牛田さん一家はすぐに避難を余儀なくされた。「原発は安全だと思っていた。ショックだった」。3月末まで、近くの高校や福島県会津若松市内の温泉などを転々とした。3食用意される避難所生活。「何もしなくても生きていけた。することがなく、何も考えられなくなった」。好きだったランニングもしなくなった。
4月上旬、東京本社に異動。福島第1原発の事故処理に当たる社員のための環境整備指針作りを担当することになり、家族5人で蓮田市に賃貸住宅を借りて移り住んだ。
しかし、住環境や仕事内容が変わり、浪江町の自宅にもいつ帰れるのか分からない。「宙ぶらりんの状態から脱したい」。再びマラソン出場を決意した。
梅雨明けした9日、柏崎市の最高気温は32・6度の夏日。うだるような暑さの中、被災地への思いを込め、「東日本大震災がんばろう日本」「柏崎から元気を!」と書かれた黄色のTシャツを着た牛田さんや上原さんら19人が、41カ所の仮設住宅跡地を走った。
牛田さんは途中でバスに乗ったものの約70キロを走った。「練習不足だったわりには走れた。まだまだ行けるかも」。汗だくの顔に笑みが浮かんだ。今後は蓮田市でランニングコースを探して練習を続ける。「来年こそ完走したい」と意気込む。
7月12日朝刊
【関連記事】
復興100キロマラソン:原発従事の49歳男性が挑戦
東日本大震災:ヒマワリ畑作り 避難者と一緒に 柏崎
復興100キロマラソン:柏崎で被災、福島では事故処理 原発従事の男性挑戦 /新潟
東日本大震災:「東北の人、元気に」 柏崎の閻魔堂、復興祈る短冊 /新潟
東日本大震災:原発従事の49歳男性、復興100キロマラソン挑戦 /福島
WriteBacks
writeback message: Ready to post a comment.